大人になった 筋ジスの俺が 子どもの頃に感じた『人とは違う』恥ずかしさを考える

デュシェンヌ型筋ジストロフィー

どうも!筋ジスブロガーの翔平坂やで~

俺の場合、デュシェンヌ型の筋ジスの
進行により、10歳くらいから、歩いたり、
立ち上がることが 難しくなり始めた。

このときを キッカケに
「やっぱり、俺には 障害があるんだ」と
なんとなく気付いているから
自覚していくことになる…。

思春期で直面する 筋ジスの進行による
体の変化は『人との違い』を
強く感じてしまう。

それは 恥ずかしさとなって、
「なぜ、自分は 人と違うんやろう」と
俺は思い悩んでいた。

今回の記事は、
大人になった筋ジス当事者が
子どもの頃を振り返るシリーズ、第2弾!

翔平坂が子どもの頃に感じた『人と違う』
恥ずかしさについて、書いていく。

この記事を読んでいただくと、
大人になった筋ジス当事者の経験に基づく、
『人と違う』を認識したことで、感じた
恥ずかしさが どんなモノだったのかを
知ることができます。

よろしければ コメント欄にて
今回の記事について、
あなたの気になったこと・
ご意見・ご感想をお聞かせください。

それでは 最後まで
お付き合い いただけると幸いです。

子どものころの『人と違う』って気になる

進行性の難病である
『デュシェンヌ型 筋ジストロフィー』は
10歳くらいから 目に見える
カラダの変化が 現れるようになる。

しかも、思春期、真っ只中の『人の目』が
スゴく 気になってくる時期に…。

少しでも 歩き続けられるように
足に 装具を着けて 歩くようになり、
長時間、歩くこと や 立ちあがることが
難しくなり、車イスを使い始める。

この はっきりと 目に見える
周りの子どもたちとの違いが、
恥ずかしくて つらい。

そして、その変化を 目の当たりにした
周りの友達にも、気を遣われて
人との違いを 余計に 感じてしまうから、
恥ずかしさが 加速してしまう。

筋ジスが進行して、カラダが 自由に
動かせなくなっていく不安 と
思春期特有の『人の目が気になる』という
恥ずかしさに挟まれて、思い悩む。

アイデンティティを確立していく
不安定な時期。

大人へと向かって、
心も体も 作り変えられていく中で、
本来ならば、失うことのない
カラダの自由を奪われる
『複雑さ』って、ホンマに苦しい。

障害があるという 分かりやすい人との違いが
『自分は異質な存在』なんだと思えて、
自分の意志に 関係なく、
目立ちたくなくても、目立ってしまうから、
余計に 恥ずかしい。

この恥ずかしさが しんどくなる理由

子どものころは、自分が『障害者』で
あることが恥ずかしいんじゃない。

『人との違い』と『周りの目』が
気になるから、恥ずかしさを感じる。

筋ジスという難病をもって産まれ、
自分の力で走ることはできなかったが、
自分で立って、歩いて、自転車にも乗って、
ほぼ健常者のように過ごした。

病気が進行することで、立ち上がり方、
歩き方、装具を着けて歩く姿、
車イスと
『人との違い』に気付いていく。

自我が芽生える=『人との違い』
を知ること。

それは 当事者である 本人だけでなく、
周りの子どもたちも
『人との違い』を見つける。

子どもの世界は残酷で、「あの子、ヘン!」
「なんで、みんなと違うの?」と興味深々。

そんな 周りの子どもたちの
純粋な疑問に触れて、
「ぼくはやっぱり、ヘンなんだ」
「なんで、みんなと違うの?」違うのは
あかん?」と『周りの目』を知る。

『人との違い』と『周りの目』を
認識することで、恥ずかしさが生まれる。

子どものころは、自分のいる世界が狭くて、
「みんなと違うのは、いけないこと」
だと 思いこんでしまう。

だから、変えることができない
『人との違い』って、しんどいな。

翔平坂 少年が感じた 恥ずかしさ

いつから、恥ずかしさを
感じるようになったのか?

子どものころの記憶をさかのぼると、
やっぱり、『人との違い』を
意識しだす思春期だった。

思春期に入るまで、走れなくても、
歩き方や立ち上がりが みんなと違っても、
自分にとっては それが 当たり前。

毎日、周りの友達に ついていくのに
必死で「恥ずかしい」なんて 思わなかった。

初めて、恥ずかしさを覚えたのが、
10歳くらいやったかな。

装具を着けて 歩くようになった時期に
小学校で 好きな子ができた。

好きな子の前で、ロボットのように、
ガシンガシンと 歩くことが恥ずかしかった。

姿見に映った自分の姿が、ものすごく
ダサいと 勝手に 失恋した 苦い記憶。

車イスになるまで、集合写真が好きだった。
それが恥ずかしさに変わるとは…。

写真なら 自分のおかしな動きが
気にならないし、周りのみんなに
埋もれてしまえば、みんなと
同じになれている気がして、嬉しかった。

「1人ではない」と思えたから。

車イスになってからは、
集合写真が嫌いになった。

写真でも『周りとの違い』がわかる。
パッと 写真を見れば、車イスの自分が
目立つのが、恥ずかしかった。

それは 写真だけじゃなく、
どこに行くにも 車イスだから、
見られているような視線を感じる。

お年寄りや小さな子どもに
「車イスの子がいる」と 言われるのが
イヤだったな。

今、思えば、自分に自信がなくて、
自意識が強かったが、ゆえに苦しんだだけ。

筋ジスという病気は 関係なくて
『じぶんと人との違い』を受け入れるのが
難しかった少年時代だった。

まとめ

大人になった 筋ジスの俺が 子どもの頃に
感じた『人とは違う』恥ずかしさを考える

ということで、
大人になった筋ジス当事者が
子どもの頃を振り返るシリーズ、第2弾!

翔平坂が子どもの頃に感じた『人と違う』
恥ずかしさについて、書いてきた。

思春期、真っ只中に訪れる 筋ジスの進行は
どんどん 目に見えるモノになっていく。

アイデンティティを確立していく中で、
『人との違い』で感じる 恥ずかしさがある。

筋ジスを持っていなくても、
どんな人も『人との違い』で思い悩むから。

決して、恥ずかしさを感じるのは
悪いことじゃない。恥ずかしくていい!

この記事を読んで、筋ジスのあなたと
ご家族の参考になれば、幸いです。

よろしければ コメント欄にて
今回の記事について、
あなたの気になったこと・
ご意見・ご感想を
お聞かせ いただけると嬉しいです。

また デュシェンヌ型
筋ジストロフィー について
気になることなども あれば
コメントを お待ちしております。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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