筋ジスと生きて30年の今、父と母への想いを初めて語る

デュシェンヌ型筋ジストロフィー

どうも!筋ジス ブロガーの翔平坂やで~

大人になると__
いや、30歳を超えると、意識して動かない限り、
両親にこれまでの想いを伝える機会は、ほとんどなくなる。

それぞれの生活があって、
立場も距離も変わっていく中で、
分かってはいるのに、
なかなか重い腰が上がらん。
それが大人というものかもしれない。

幸いなことに、今も両親との関係は良好。
やからこそ、「いつか」ではなく、
「今のうちに」伝えておこうと思った。

今回の記事は、
息子を30年やってきた翔平坂が
これまであまり語ってこなかった
両親への想い、父と母それぞれへの想いを
綴っていく。

この記事の目的はとてもシンプル。
デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD、以下「筋ジス」)

当事者である翔平坂の30年目の
「両親への想い」を通して、
筋ジスのお子さんを持つあなたの心が、
ほんの少しでも軽くなればいいな。
そう願って、今回の記事を書かせていただきました。

それでは 最後まで
お付き合い いただけると幸いです。


※本記事は、筆者(翔平坂)がデュシェンヌ型筋ジストロフィー(筋ジス)当事者として、
30年間生きてきた中での個人的な経験・感情・価値観をもとに執筆しています。
※記載されている家族との関係や受け止め方は、あくまで筆者自身の視点によるものであり、
すべての当事者・ご家族に当てはまるものではありません。
※本文には、病気・家族関係・生や死に関わる表現が含まれています。
読む方の心身の状態によっては、負担に感じられる場合があります。無理のないタイミングでお読みください。
※本記事は、誰かの選択や生き方を評価・誘導することを目的としたものではなく、
一人の当事者の「想いの記録」として綴られています。
※感じ方や受け取り方が異なることを前提に、それぞれの立場や想いを尊重していただければ幸いです。

30年分の時間を振り返って、まず思うこと

俺の家族は、どちらかといえば幸せな方やったのかもしれない。
人からどう見えるかは分からへんけど。

両親がいて、
長男と俺は筋ジストロフィーを抱え、
その下に健常の弟と妹が三人。
決して裕福ではなかったけど、
暮らしが足りないと感じたことは、あまりなかった。

どんな環境であっても、
自分自身が「満たされていた」と思えるなら、
それは幸せと呼んでいいんやと思う。

子どもである俺の目から見れば、
両親が夫婦円満やったとは言えへん。
喧嘩もよく見たし、
父はいろいろとやらかしてきた。
正直なところ、
よく離婚せえへんかったな、と思うこともある。

それでも、
家族が一人も欠けることなく、
ここまで続いてきたのは大したもんや。

家族史を振り返ると、
笑った分だけ、涙もあった。
怒りも、悲しみも。
細かいことは忘れてるけど、
良い思い出と悪い思い出は、
たぶん同じくらいある。

問題は山ほどあった。
でも、それを乗り越えてきたからこそ、
俺の家族は、この先も続いていく気がしている。
未来のことは分からへんけどな。

子どものころから、
両親は完璧やないって気づいていた。
むしろ、不完全やったからこそ、
学べたことの方が多かった。
そこには、ちゃんと感謝している。

好きなところも、嫌いなところもある。
それでも俺は、
人並みに両親への愛情を持っている。
親は選べへんけど、
この親のもとに生まれてきて良かったとは思う。

障害のある子どもがいる家庭としては、
及第点やろう。
感動秘話なんてない、
ごくありふれた家族や。
人から見れば「普通」とは呼ばれへんかもしれんけど、
これが俺の普通やった。

俺は、人様の家庭に憧れることもなかった。
そう思えるなら、
親ガチャは成功やったんやろな。

逆に、
両親は子どもガチャをどう思ってるんやろ。
自虐的に言えば、失敗かもしれん。
でも、そんな冗談を言えるくらいには、
俺は強く育った。

せやから最後は、これだけや。
とにかく、
両親には「ありがとう」を言っておく。

尊敬と反面教師、そのどちらもが父だった

人には、良いところと悪いところがある。
それと同じように、父にも尊敬できる部分と、
反面教師として心に刻んできた部分があった。

その両面すべてを含めて、
父は人生の教科書みたいな背中を見せてくれた人やと思う。
ある意味では、やっぱり偉大や。

父なりの葛藤や、
選べたかもしれない別の人生もあったはずや。
それでも逃げずに、父として居続けてくれたことには、
感謝してもしきれない。

嫌なことも確かにあった。
けれど同時に、
たくさんの経験を与えてくれたことも事実で、
そこには心から感謝している。

ただ、どうしても許せないこともある。
それは忘れずに心に置いたままや。
一人の男として、言葉にしにくい部分もあるけれど、
そこは真似しないと決めている。

子どものころ、
悪いことをすると連帯責任で兄弟が並ばされ、
猪木かと思うほどのビンタを食らった。
決して理不尽ではなかったし、
怒られる理由も、ちゃんと伝わっていた。
昭和の匂いが強くて、
学ぶことも多かった。
(ごくたまに、ほんまに理不尽なのもあったけどな)

あるとき、虐待のニュースが流れ出して、
「虐待っぽいから、ビンタやめるわ」と言った父。
あれは今思い出しても、
妙におかしかった。

子どもの俺にとって、
父は楽しい存在でもあった。
だからこそ、嫌いになれなかった。
欠点があっても、それを差し引いて余るほど、
良いところがあった。

不器用な父に対して、
俺もまた、不器用な愛情を抱いているんやと思う。

階段から落ち、脊髄を痛めながらも、
歩けるまで回復した父の姿を見て、
俺や兄が障害に負けずにいられる強さは、
自分たちの経験だけやなく、
父から受け継いだものもあったんやと気づいた。

結局、行き着く先は感謝になる。

あんなに大きく見えていた父の背中は、
いつの間にか、ずいぶん小さくなった。
ずっと超えられない存在やと思っていたけど、
気づけば、
もう超えた部分も増えていた。

さすがに俺も三十歳。
おっさんになった、ってことやな。

今まで、ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。

生きるほうを選んでくれた母へ

母にいちばん感謝しているのは、
長男と俺の病気がわかったとき、
死を選ばず、生きるほうへ踏みとどまってくれたことや。

筋ジストロフィーによって、
人生の可能性が狭められ、生きづらさを抱えているのは事実やと思う。
けれど、生きづらさは誰にでも、それぞれの形で存在する。
そう考えれば、この現実も特別なものではなくなる。

健常者の人生が羨ましく思えないかといえば、
それは嘘になる。
あのとき、すべてを終えてしまっていたなら、
この苦しみを味わうこともなかったやろう。

でも同時に、
苦しくも、美しいこの世界を知ることもなかった。

目を向ける方向を変えれば、
世界には、静かに輝くものがあちこちにある。
それに気づけたのは、この身体で生きてきたからや。

もし健康な身体で生まれていたら、
無数の選択肢の前で、
きっと俺は迷い続けていたと思う。
選べることが多い人生が、
必ずしも幸せとは限らない。

筋ジスがあるからこそ、
世界はより濃く、鮮やかに見える。
だから、健康な身体に生んでくれなかったことを、
恨んだことはない。

恨んでも、何も変わらへん。
最高の人生を生きるのに、
ネガティブな感情に囚われている時間はない。
変えられないものを嘆く暇もない。

ただ、この世界を生きられること自体が、
もう十分に幸せやと思っている。
すべてを愛して生きると決めたから、
俺の軸は揺らがない。

もう俺は大丈夫やから、
母には、もっと自分の人生を生きてほしい。

それでも、これからも頼らざるを得ない部分はある。
そのときは、正直に甘えさせてもらう。
ご迷惑をかけることもあると思うけど、
これからも、よろしくお願いします。

そして、
母が俺を頼りたくなったときは、
遠慮なく、声をかけてほしい。

まとめ|今だから、言葉にできたこと

ということで、
息子を30年やってきた翔平坂が
これまであまり語ってこなかった
両親への想い、父と母それぞれへの想いを
綴ってきた。

少し照れくささを感じながら
言葉にしていく中で、
忘れていた記憶や感情を、
いくつも思い出した。
たまにはこうして立ち止まり、
人生を振り返る時間も大切やなと、
あらためて実感する。

こういう想いを直接、
両親に伝えるのはやっぱり恥ずかしい。
でも、ブログを通してなら書けた。
そう思うと、
ブログを続けてきてよかったなと思う。

ふと考えると、
両親との関係が良好で、
感謝を伝えられるということ自体が、
もう十分に幸せなことや。

本当にいろいろある家族で、
みんなそれぞれ我が道を行っているけど、
ええ家族に恵まれた。
両親にはもちろん、
弟たちにも感謝している。

さて、家族よ。
これからも、よろしくお願いします。

この記事を読んだ
筋ジスのお子さんを持つあなたの心を
ほんの少しでも軽くできたなら、
それ以上に嬉しいことはありません。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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